駒澤大学 大学案内2017
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実は、正確にはわからないのです。鉄道会社もそのような情報をもっていません。ワンマン運転で、料金箱を設置している鉄道、路面電車、バスなどでは、駅・停留所ごとの乗車人員も把握できません。料金箱の中身から、全体の乗車人員を推定しているだけです。まして、利用者がどこに住んでいて、何歳ぐらいの人で、どんな目的で、どれくらいの頻度で利用しているのか、どこに行こうとしているのかまったくわかりません。また、一つの路線でも、場所によって、利用する人や利用のされ方も違ってきます。中小の鉄道会社は毎日の安全運転に精一杯で、それ以外のことをする余裕がないのが現状です。もし、その路線の将来を考えたり、存廃問題を議論するようなとき、これらの情報はとても重要です。交通地理学の中でも、公共交通を主に扱う分野の人たちは、このようなことも明らかにしようとしているのです。実家の近くにロ-カル線の鉄道が走っているのですが、どんな人たちが利用しているのですか?Q:A:文学部戦国女性というと、悲劇を背負った信長の妹お市、細川ガラシャ夫人そして淀殿、一方で秀吉を支えた北政所などが有名です。 戦国時代、東海地方で大名として領国を広げた今川氏に嫁いで活躍したのが、京都の公家中御門家出身の寿桂尼です。夫・氏親は晩年持病に悩まされ、政務も満足にとれない状況。氏親の跡を継ぐのは嫡男氏輝ですが、若年で、また病気がち。そこで、寿桂尼の登場となるわけです。 寿桂尼は、「帰」(「とつぐ」と読む)の文字を刻んだ印章を用いて、領国支配を行っていきます。その最初が、氏親没後約3ヶ月たった9月26日に、浜名湖岸の大山寺という寺院に出されたもので、その内容は、故氏親が認めていた土地や権利を、「相違なく認める」というものです。じつはこれが大事なところで、氏親が認めていた諸権利を、継続して認めるということは、寿桂尼が氏親の権限を、そのまま引き継いだといえます。また、氏親の死直前に制定された領国内の統治に関する法令「仮名目録」にも、おそらく寿桂尼が大きく関わっていたと思われます。当時女性が用いた「かな交じり文」で成り立っているからです。 こうして考えていくと、寿桂尼は「戦国大名」として、一時的であれ存在したということがいえるのではないでしょうか。日本史上、明らかに女性の戦国大名が存在したのです。歴史学は史料を基礎に成り立つ学問です。史料を集めてどう分析するか、その時、ささやかですが、新たな「歴史事実の発見」に出会う事を実感できます。 ところで、今年の大河ドラマは真田幸村、来年は戦国時代の「おんな城主」が主人公のようです。どんな戦国女性が登場するのか楽しみですね。女性の「戦国大名」がいた?Q:A:057寿桂尼肖像画(静岡県菊川市、曹洞宗正林寺所蔵)

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