青山学院大学 大学案内2018
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11書店の小説が並ぶ棚から私の本を手に取ってくれた方はご存じかもしれませんが、作家になって16年、著作は110冊を超えました。冊数を意識しているわけではなく、自分の中に書きたいことをたくさん抱えています。子どもの頃からとにかく本が好きで、文章を書くことが好きでした。学校の図書館の本を右から左へと順に読み進めていくような感じです。「書く仕事」に就きたいと思っていたので、大学を卒業して新聞社に入社したのは自然な流れでした。ただそこがゴールではなく、「作家になりたい」という物心がついた頃からの夢に近づくために、新聞記者のかたわら小説を書き始め、2000年にメジャーリーグを舞台にした小説で新人賞を受賞し、作家デビューを果たしました。新聞社を退社するまで10年以上、作家としても執筆を続けましたが、その中で苦労したのは記者と作家は向いている方向が逆だったことです。取材したり、資料や本を読んだりというインプットは同じですが、真実を書くかフィクションを書くかというアウトプットは真逆。切り替えが難しく、いずれは小説だけでやっていきたいという気持ちがより強くなりました。小説のテーマは最初に浮かぶこともあれば、書き終わるまでわからないものもあります。今のテーマはしいて言えば「劣化」でしょうか。個人も組織も、もしかしたら小説も劣化しているような気がする。世の中全体が衰えているような気がしてなりません。私の小説のアイデアは自分で感じていることだけではなく、新聞を読み、世の中を俯瞰することで生まれます。気になったキーワードや出来事をストックしていく感じです。多数の資料を集め、取材を行い、入念な下準備をしてから執筆を始めますが、特定のモデルを作りたくないので、スポーツ小説の場合でも取材は競技の運営などについてのみで、選手に話を聞くことはありません。想像で書く、それがフィクションなわけです。国際政治経済学部を選んだ動機は「おもしろそう」だと思ったことに尽きます。国際系学部のパイオニア的存在で、しかも1期生。新しいことができるのではないかと惹かれました。本気で作家になりたいという思いがあったはずなのに、文学部に進むより“国際”に魅力を感じたのです。それでも入学後は、古本屋に通い、本ばかり読んでいました。特に海外のハードボイルド小説を好んで読んだのは、早く大人になりたいという気持ちが強く、自分の流儀をもつ主人公に憧れたからでした。少人数の学科だったので、卒業してから30年経つ今でも友人たちとの関係は続いています。自分と違う世界の人たちが身近にいるのはとても貴重なことで、そういう友人との出会いが待っているのが大学ではないでしょうか。振り返って思うと堂場肇先生のゼミに入ったことが、作家への第一歩だったような気がします。「物を書いて生きていきたいなら新聞記者になりなさい」とアドバイスしてくださったご縁と、在学中に先生が亡くなられたこともあり、先生のお名前の「堂場」をペンネームにさせていただきました。ゼミでは「紛争論」を学び、卒論も一気に100枚くらい書き上げた記憶があります。書くことが苦ではなく、むしろ楽しかったのは今も変わりません。青学をめざしている受験生の皆さんに伝えたいのは、「一生に一度は死ぬ気でがんばる」ということです。大学4年間はさまざまなことが試せる時期でもあります。必ず一度は限界まで自分を追い込んで、ここまでがんばったというものを青学で作ってください。負荷耐性をつけておかないと社会に出た時に辛くなりますし、経験しておくと絶対に損はしませんから。そして、ぜひ「目標」と「夢」をもってください。「目標」は身近で手を伸ばせば届くもの。「夢」は叶うかどうかわからないけれど、それに引っ張られるように人生を生きていけば良い遠い存在。そのふたつは別のものととらえたほうが良いと思います。若い頃には届かなくても、年齢を重ね、経験も増えてくると夢が夢でなくなるかもしれません。そうすると心豊かな人生になることでしょう。「目標」と「夢」をもつ。それが私から皆さんへのエールです。「手の届く目標」と「遠い夢」。ふたつをもつことで心豊かな人生に。読んで書く。その繰り返しで作家へ。いつか世に出ることがあれば恩師の名前で。夢は遠いところに置くからこそ輝くもの。

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