青山学院大学 大学案内2017
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「女子小学校」創立者ドーラ・E・スクーンメーカー女史「耕教学舎」創立者ジュリアス・ソーパー博士美會神学校校舎1879(明治12)年ガウチャー・ホール1887(明治20)年学生による青山学院福音伝道隊1901(明治34)年青山キャンパス全景(左から新ガウチャー・ホ-ル、大講堂(弘道館)、神学部校舎、勝田ホール)1921(大正10)年頃青山キャンパス、正門からの眺め1932(昭和7)年頃東京英和学校神学科校舎フィランダ-・スミス・ビブリカル・インスティチュ-ト1886(明治19)年再建された海岸女学校校舎1881(明治14)年本学の母体である青山学院は、明治初頭、アメリカのメソジスト監督教会から派遣された3名の宣教師によって創設された3つの学校を源流としています。1927年、女子系と男子系の学校を統合し、現在の青山学院の土台が築かれました。そして、戦後1949年、学制改革により新制大学として開校したのが「青山学院大学」です。学部・学科・大学院の新設、改組などにより拡充を進め、現在、青山キャンパス・相模原キャンパスに合わせて10学部・24学科・12研究科を擁しています。キリスト教信仰にもとづく人間教育ー、常に、その真価を「知」の営みを通して発信し続けていきます。「美會神学校」創立者ロバート・S・マクレイ博士1874年(明治7年)「女子小学校」創立。ドーラ・E・スクーンメーカー女史により東京麻布に開校する。翌1875年東京芝に移転し「救世学校」と改称、1877年東京築地に移転し「海岸女学校」と改称する。明治初期に創設された3校を源流として。1878年(明治11年)「耕教学舎」創立。ジュリアス・ソーパー博士により東京築地に開校する。1881年「東京英学校」と改称。1879年(明治12年)「美會神学校」創立。ロバート・S・マクレイ博士により横浜山手町に開校する。1882年「東京英学校」に統合。1883年(明治16年)ジョン・F・ガウチャ-の寄付により東京青山(現 青山キャンパス)に土地を購入し「東京英学校」を移転、「東京英和学校」と改称。1888年(明治21年)「海岸女学校」の上級生を青山(東京英和学校 構内)に移し「東京英和女学校」として開校。1894年「海岸女学校」を閉じ「東京英和女学校」に統合。1894年(明治27年)「東京英和学校」を「青山学院」と改称。神学部、普通部(高等普通学部・英語師範科・予備学部)を置く。1895年(明治28年)「東京英和女学校」を「青山女学院」と改称。普通学部(高等科・予備科・普通科)、手芸部、幼稚園(1899年閉園)を置く。1899年(明治32年)「文部省訓令第12号」公布により、宗教教育に支障をきたす。1904年(明治37年)青山学院高等科・神学部および青山女学院英文専門科は、ともに専門学校の認可を受ける。1906年(明治39年)「青山学院財団法人」設立(1942年、財団法人青山学院に組織変更)。1923年(大正12年)関東大震災により青山学院、青山女学院ともに被災し、校舎、諸施設は壊滅的打撃を受ける。1927年(昭和2年)「青山女学院」を「青山学院」に統合。神学部、高等学部、中学部、高等女学部(専攻科・本科)を置く。1943年(昭和18年)神学部を閉鎖する(男子部は明治学院神学部等とともに日本東部神学校を創設、女子部は共立神学校他とともに日本女子神学校を創設)。1944年(昭和19年)専門部(文学部、高等商業学部)を閉鎖する(明治学院に統合)。同年「青山学院工業専門学校」を開校する。1945年(昭和20年)空襲により校舎、諸施設の大半が罹災する。昭和初期、女子系・男子系2校を「青山学院」として統合。8沿革

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