愛知大学 大学案内2017
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東亜同文書院大学の関係者が中心となって、旧大学令により、財団法人愛知大学創立(現、豊橋キャンパス)予科開設法経学部(法政科、経済科)開設国際問題研究所を設立学制改革により、新制大学設置法経学部(法学科、経済学科)、文学部(社会学科)設置文学部文学科設置短期大学部第2部、法経科第2部、文科第2部(以上、豊橋)設置名古屋分校を開設、法経科第2部(名古屋)設置私立学校法の施行に伴い、学校法人愛知大学に組織変更名古屋分校移転拡張〈名古屋キャンパス(現、車道キャンパス)の基礎〉綜合郷土研究所を設立中部地方産業研究所を設立大学院法学研究科公法学専攻、経済学研究科経済学専攻(各修士課程)設置華日辞典編纂処(現、中日大辞典編纂所)設置名古屋キャンパスに法経学部教養課程を開講文学部史学科設置/文学専攻科国文学専攻設置法経学部第2部(法学科、経済学科)設置大学院法学研究科私法学専攻(修士課程)設置文学部哲学科設置短期大学部(女子)文科設置短期大学部(女子)生活科設置1946 111947 1 41948 61949 41950 41951 3 51951 61953 3  41955 41956 41957 41958 41959 41961 4創立当時の愛知大学正門(画 竹生節男氏)設立許可書短期大学部(本館)東亜同文書院創立者近衞 篤麿東亜同文書院虹橋路校舎の正門自由と知を愛する象徴「自由受難の鐘」校章愛知大学の前身ともいえる東亜同文書院(後に大学)は、1901年に荒尾精の志をうけた近衞篤麿(貴族院議長)や根津一らが、中国上海に設置した、日本の海外高等教育機関です。当時貴族院議長であった近衞篤麿公が、東亜同文会を設立。東亜同文会の理念は教育文化事業によって日中友好提携を成し遂げることにあり、そのための人材教育が東亜同文書院大学の設立目的でした。後に首相となった近衞文麿公も1926年から5年あまり院長に就任しています。東亜同文書院は、日中両国の経済提携と善隣友好の促進をめざし、画期的なビジネス教育を実践しました。その一つは、自力で実務をこなせるだけの中国語・英語の修得と、もう一つは、貿易取引の仕組みや商品などの調査を通して中国の現実を知るための大調査旅行でした。1945(昭和20)年、敗戦とともに東亜同文書院大学は45年で幕を閉じました。最後の学長本間喜一(後に最高裁判所初代事務総長)は、後継校地を日本国内に探すことを指示する一方、東亜同文書院(大学)卒業生・在学生約5,000名の学籍簿・成績簿を教職員・学生の個々のリュックサックに忍ばせて持ち帰らせました。1946年5月、本間学長の呼びかけに東亜同文書院大学などの教職員、学生の多くが集い、同年11月15日に愛知大学は中部地区唯一の旧制の法文系大学として誕生しました。そして、2016年11月15日、創立70周年を迎えます。■ 愛知大学のあゆみ林 毅陸1872-1950初代学長(1946-1950)第2代学長(1950-1955)第4代学長(1959-1963)第3代学長(1955-1959)はやしきろく本間 喜一1891-1987ほんまきいち小岩井 浄1897-1959こいわいきよし175

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