大阪大学 大学案内2017
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優秀な人材を多数輩出し、わが国屈指の研究型総合大学となった大阪大学。その学問の源 蘭医学研究の第一人者・緒方洪庵の「適塾」、そして実業家・林蝶子女史の寄付を基に設立  大阪大学は1931(昭和6)年に創設されましたが、その学問の精神的な源流となるのは、江戸時代の大坂で発祥した学問所「懐徳堂」と私塾「適塾」です。 本学文系学部の源流と位置付けられている「懐徳堂」は、1724(享保9)年、大坂の尼崎町(現・中央区今橋)に創立された町人による町人のための学問所。設立の中心となったのは「五同志」と呼ばれる5名の町人で、運営に携わったのも町人でした。玄関の壁書には“書生の交は貴賤貧富を論ぜず同輩たるべきこと”とあり、大店の主人から使用人まで、向学心あふれる多くの人びとが聴講。漢字・和学・詩文といった多彩な講義内容と、商用による途中退席を認める自由な学風があり、西日本の学問の中心として150年近くも栄えました。全国に名の知れた学者を次々と学主に迎え、第4代学主・中井竹山の頃には、江戸の昌平坂学問所を凌ぐほどの教育が行われたと言われています。 1869(明治2)年に廃校になったあとも復興の声が絶えず、1913(大正2)年に財団法人懐徳堂記念会が設立され、その3年後に講義を再開しました。戦前まで誰もが水準の高い学問を学べる場として親しまれましたが、戦災で講堂は焼失。戦後、本学に新しく法文学部が加わる際に、戦火を免れた蔵書類が「懐徳堂文庫」として寄贈されたことにより、大坂の町に息づいたこの独創的な学問と思想・文化を継承することとなったのです。 一方、本学医学部の原点となるのが「適塾」です。適塾は、備中足守藩(現・岡山市北区足守)出身の緒方洪庵が江戸や長崎で蘭学・医学を修行後、1838(天保9)年、大坂・瓦町に医院とともに開いた私塾。7年後、いまも重要文化財として建物が残る過書町(現・中央区北浜3)に移転・拡張しました。洪庵は計25年にわたって西洋医学の研究をはじめ、種痘事業やコ江戸期に大坂で発祥した「懐徳堂」と「適塾」。緒方洪庵(五姓田義松画)大阪大学の「いま」に 1724懐徳堂創設大阪大学・年表1838適塾創設医学部と理学部2学部からなるわが国6番目の大阪帝国大学創設19311933大阪工業大学を吸収して工学部を設置1942前年史跡指定を受けた適塾跡が大阪帝国大学に移管大阪大学と改称学制改革により、理・医・工・文・法の5学部からなる新制大阪大学として新たなスタートを切り、一般教養部を設置医学部から歯学部が分離独立文・法・経済・理・薬・工・医の各研究科設置薬学部を設置歯学研究科を設置基礎工学部を設置基礎工学研究科を設置19471949195119531955196019611964History 学びの精神を受け継ぐ、大阪大学のこれまで。ホーム > 大学案内 > 大学の概要 > 大阪大学の歴史パソコンからCGで再現された江戸時代の懐徳堂10

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