法政大学 大学・入試案内2017
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学校教育法により新制大学として発足。1949年創立130周年。2010年スポーツ健康学部を設置。2009年キャリアデザイン学部を設置。2003年国際文化学部、人間環境学部を設置。1999年多摩校舎竣工。経済学部第一部と社会学部第一部の1年次生授業開始。1984年理工学部、生命科学部、GIS(グローバル教養学部)を設置。2008年デザイン工学部を設置。2007年92年館(大学院棟)竣工。平成 1992年国際交流センター新設。1977年法政大学奨学金給付制度制定。1962年現代福祉学部、情報科学部を設置。市ケ谷キャンパスに「ボアソナード・タワー」竣工。創立120周年。2000年奨学金留学制度(現・派遣留学制度)開始。1979年経営学部を設置。1959年私立学校法により学校法人法政大学となる。新制大学院を設置。1951年創立100周年。1980年小金井キャンパス校舎完成、工学部の移転。1964年社会学部を設置。1952年大内兵衞総長就任。工学部を設置。1950年2013年に策定されたブランドマーク。さまざまな方面でエネルギッシュに躍動する法政大学の姿を、Hの文字でシンボリックに表現。常に挑戦を続ける行動力とそれによってもたらされる可能性や柔軟性、その広がりをデザインしています。ブランドマーク現在の校章は、1930年に制定されたもので、予科の山崎静太郎教授(楽堂と号して能楽の研究家・批評家でもあった)の考案です。大学の二字を亀の子型に図案したもので、長い伝統と永遠の真理を表しています。校章東京法学社が設立された1880年は、日本近代法典の先駆けである刑法と治罪法が公布された年。金丸鉄、伊藤修、薩埵正邦ら若き法律家によって誕生した東京法学社は、自由民権運動が全国的に高揚を見せ、近代法制度の整備が進む当時の日本の新気運に呼応したものでした。東京法学社は、法律を講じる「講法局」と弁護の実務訓練を行う「代言局」を擁し、今日に受け継がれている実務教育すなわちキャリア教育の精神は、本学建学当初から築かれていました。法政大学創設の根源伊藤 修 (1855~1920)薩埵 正邦 (1856~1897)金丸 鉄 (1852~1909)伝統と学風の礎を築いた賢人政府の法律顧問としてフランスより来日したボアソナード博士は1883年、東京法学校の教頭に就任。以後10年間、無報酬で門弟の教育に情熱を注ぎ、本学の基礎固めに重要な役割を果たしました。ボアソナード博士により培われたフランス自然法的な近代法の基本理念は、本学の「自由と進歩」の学風を創り上げる基盤となりました。日本近代法の礎 ボアソナード(1825-1910)1903年、初代総理(現在の総長)に就任したのが、日本の「民法の父」といわれる梅謙次郎博士でした。博士は中国人留学生を対象とした「法政速成科」や英・独・仏の語学教育のための「語学科」を開設するなど世界的視野で多角的な教育改革を推進。この“開かれた教育”の精神もまた今日の本学に受け継がれています。日本民法の父 梅 謙次郎(1860-1910)1950年、総長に就任した大内兵衞は、第二次世界大戦で焼失した校舎の復興に乗り出し、53年館(現在のボアソナード・タワー)・55年館・58年館を設立。戦後の本学の飛躍的発展に大きな貢献を果たしました。この発展期を支えた大内が指針として与えた言葉として、「独立自由な人格」を作ること(つまり「自由」)、「空理を語らず、日本人の社会生活向上発展のために、たとえ一石一木でも必ず加えるような有用の人物」を作ること(つまり「進歩」)が残されています。戦後の飛躍的発展大内 兵衞 (1888~1980)55年館ホールの正面に掲げられた「学而不思則罔 思而不学則殆」(「論語」巻一、為政第二)-学んで思わざればすなわち罔(くら)し、思って学ばざればすなわち殆(あやう)し-は大内兵衞元総長の筆。

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