法政大学 大学・入試案内2017
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変化を恐れず、常に挑戦し続ける。1880年。自由を求める気運が高まるこの時代に、若者たちの力によって法政大学は誕生しました。そこから3つの世紀にわたり、「自由と進歩」の学風を受け継ぎ、幾多の人材を輩出。変化を恐れず、常に挑戦し続ける──。法政大学はいつの時代も歴史と伝統に甘えることなく、新たな改革に挑み続けます。東京法学社(講法局・代言局)設立。在野の法律家・金丸鉄と伊藤修らによって東京駿河台に創られた。明治  1880年東京法学社の講法局を独立させ、東京法学校となる。(主幹 薩埵正邦)1881年政府の法律顧問としてフランスから招かれていたパリ大学教授(アグレジェ)ボアソナード博士が教頭に就任。1883年日仏協会の前身である仏学会によって東京仏学校設立。1886年東京法学校と東京仏学校とが合併して、和仏法律学校と改称。箕作麟祥博士が校長となり、自由・清新な学風を発展させた。1889年専門学校令により財団法人和仏法律学校法政大学と改称し、予科、大学部、専門部、高等研究科を設置。初代総理(現在の総長)に梅謙次郎博士が就任。1903年野球部創部。1917年より四大学リーグに加入。1925年には、東京六大学野球連盟が誕生。1930年秋の東京六大学野球リーグ初優勝以来、名門クラブとして日本球界に貢献している。 大正 1915年大学令により初めて私立大学の設置が許可され、財団法人法政大学となる。法学部、経済学部を設置。ほかに大学予科、専門部および各学部研究科を擁する有数の私立大学となる。1920年麹町区富士見町4丁目(現在の市ケ谷キャンパス)に校舎を新築し移転。1921年法学部に文学科、哲学科を新設して法文学部となる。1922年工学部の前身、法政大学航空工業専門学校設立。昭和 1944年法文学部が法学部、文学部に改編され、経済学部と合わせて3学部となる。7月に通信教育部を設置。1947年法政大学のスクールカラーは、オレンジと紺(法政ブルー)です。古い応援歌の歌詞によると、2つの色は「暁(あかつき)の太陽」と「青空」を表しています。法政ブルーの色合いは、紫より濃い青紫です。法政大学の学風若きわれらが命のかぎりここに捧げて(ああ)愛する母校われひと共にみとめたらずや進取の気象質実の風青年日本の代表者法政 おお わが母校法政 おお わが母校二、若きわれらが命のかぎりここに捧げて(ああ)愛する母校見はるかす窓(の)富士が峰の雪蛍集めむ門の外濠よき師よき友つどひ結べり法政 おお わが母校法政 おお わが母校一、自由と進歩法政大学校歌作詞 佐藤春夫 作曲 近衛秀麿スクールカラー「自由」を生き抜く実践知建学の理念と歴史

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