武蔵大学 大学案内2017
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03 武蔵大学には1994年に入学、1998年に卒業。武蔵を選んだのは、少人数のゼミがあり、学生に自由な議論をさせていたこと。そして図書館に洋書がずらりと並んでいたこと。単純な理由です。その当時の所属は欧米文化学科ドイツ文化専攻でした。ドイツ語の授業が週に6コマ、英語の授業が3コマあり、大変ハードな時間割でした。私自身はけっして優秀な学生ではありませんでしたが、3年次の終わりごろにはドイツ語で論文を書くという無謀な計画を立てていました。卒業論文のテーマは「統一後のドイツ」。4年次に就職は考えず、資金を貯めて大学院に進むことにしました。その理由は、学んだドイツ語を“使える”ものにしたかったからです。2年間のアルバイトを経て、2000年に武蔵大学大学院人文科学研究科欧米文化専攻に入学。大学院時代は他専攻の仲間や他大学の院生たちと交流したり、調査のための海外渡航を試みたりしました。修士論文は、またも無謀なことにドイツ語で執筆。テーマは「東ドイツにおける日常生活世界」。踊共二教授に史料の読解から翻訳の手順まで徹底的に指導されました。いまでもそれは大きな糧になっています。 2002年に修士課程を終えました。博士後期課程には進みませんでした。両親に経済的な負担をかけたくなかったのです。この時期は就職氷河期でもあり、それなら「ドイツに渡ろう」と決意。両親からの助言もありました。多少の準備が必要で、結局は2003年に“片道切符”で渡独。いまにして思えば無茶なことをしました。まずは研修先を探しました。       そこでワイン好きという理由でワイン醸造所へ。極度に緊張しながらドイツ人社長の面接を受けたのはなつかしい思い出です。4カ月ほどの研修を終え、就職活動開始。これが苦戦の連続。就労ビザがないことと就労経験が少ないことが原因でした。 苦悩の末、日系免税店で販売員として2年半ほど勤務。これが週休1日でつらかった。この経験がのちの困難を乗り越えるほどの財産になりました。このとき就職していなかったら、日本に帰国していたでしょう。その後、運良く日系商社に転職。貿易事務から欧州各地での交渉、市場調査などを一度に覚えさせられ、毎日残業ばかり。初めてのイタリア出張では道に迷い、20分の道のりを2時間もドライブ。涙ぐんでしまいました! ビジネスドイツ語も最初はダメでした。同僚のドイツ人にドイツ語メールのレベルの低さを指摘される始末。このままでは困ると思い、日本語を学びたいドイツ人を見つけて猛勉強しました。それが現在の妻です。いまは日系電子機器メーカーに勤務し、欧州・中東・アフリカを担当。この原稿も出張先のベオグラードで書いています。 「国際的に活躍したい」「海外で働きたい」人に必要なのは、その思いをただの憧れに終わらせず、決めたことをやり抜く“覚悟”。そして苦しいときを乗り越えられる“忍耐”です。勉学だけでなく趣味やアルバイト、日本の就職先で学んだことも必ず人生のどこかで生きるはず。何ごとも一生懸命取り組んでくださいね!卒業生からのエール1998年 武蔵大学人文学部卒業。2002年 武蔵大学大学院人文科学研究科欧米文化専攻博士前期課程修了。■ 「グローバルに考える」とは? 古代人も中世人も地球の「全体」について考えを巡らせていました。しかし、それらは経験より想像力にもとづくものでした。今日、人工衛星のおかげで地球の本当の姿を知り、航空機や鉄道を使って実際に世界を駆け回ることのできる時代に生きる私たちは、まずこの世界についての正しい知識を身につけなければなりません。グローバルに考えるということは、抽象的なレベルで思索する前に、グローバル・イッシューの数々に具体的に向き合い、その複雑な成り立ちを知ることから始まります。人工衛星から見た現代の地球中世ヨーロッパの世界図古代インドの世界図

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