武蔵大学 大学案内2017
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13武蔵大学の歩み白雉(しらきじ)武蔵大学のシンボルは白雉です。「続日本紀」で献上された「武蔵国献白雉」に由来します。1998(平成10)年4月、大学50周年を記念して、ロゴマークもこの白雉と小枝をモチーフに制作されました。わが国初の旧制高等学校時代から94年、「建学の三理想」をめざして● 開室時間月曜~金曜 10:00~16:00(12:30~13:30は昼休みのため閉室)1922(大正11)年4月武蔵大学の前身となる、わが国初の七年制高等学校である旧制武蔵高等学校開校。1948(昭和23)年4月学制改革により新制武蔵高等学校開設。1949(昭和24)年4月新制武蔵大学(経済学部経済学科)開設、新制武蔵中学校開設。1950(昭和25)年11月四大学対抗運動競技大会(現:四大学運動競技大会)始まる。1954(昭和29)年6月大学祭始まる。1959(昭和34)年4月経済学部に経営学科を増設。1963(昭和38)年10月大学祭を「白雉祭」と命名。1965(昭和40)年6月第1回学内運動競技大会開催。1969(昭和44)年4月人文学部(欧米文化学科、日本文化学科、社会学科)を増設。大学院(経済学研究科)を設置。1973(昭和48)年4月大学院に人文科学研究科を増設。1992(平成4)年4月経済学部に金融学科を増設。1998(平成10)年4月人文学部社会学科を改組し、社会学部(社会学科)を増設。人文学部に比較文化学科を増設。2004(平成16)年4月社会学部にメディア社会学科を増設。2005(平成17)年4月人文学部欧米文化学科、日本文化学科、比較文化学科を英米比較文化学科、ヨーロッパ比較文化学科、日本・東アジア比較文化学科に改組。2009(平成21)年4月テンプル大学ジャパンキャンパスと提携。2011(平成23)年4月人文学部英米比較文化学科、ヨーロッパ比較文化学科、日本・東アジア比較文化学科を英語英米文化学科、ヨーロッパ文化学科、日本・東アジア文化学科に改組。2015(平成27)年4月「ロンドン大学と武蔵大学とのパラレル・ディグリー・プログラム」開始。■ わが国初の旧制七年制高等学校がルーツ 武蔵大学は1922(大正11)年に創立された、わが国初の七年制高等学校である旧制武蔵高等学校を前身としています。「人間形成を根幹に、明日の新しい日本を担う、優れた人材を育てる」という理想を掲げた旧制武蔵高等学校は、その後の学制改革にともない、1949(昭和24)年に武蔵大学となりました。創立から94年を経た現在、武蔵大学は3学部8学科の総合大学へと発展しました。激しく揺れ動く社会環境のなかにあって、創立時に掲げた「建学の三理想」は、今なお褪せない価値を持ち続けています。 武蔵大学はこの三理想をもとに、21世紀の新たな社会において大学に求められる知の創造、継承と実践をめざし、3つの目標を定めました。伝統の少人数教育を一層強化し、教員との密接なコミュニケーションのなかで、これからの社会を支え、発展させ得る「自立した活力ある人材」を育成しています。3つの目標「自立」自ら調べ自ら考える「対話」心を開いて対話する「実践」世界に思いをめぐらし身近な場所で実践する武蔵学園記念室のご案内■ 創立者 根津嘉一郎 武蔵高等学校を創立したのは根津嘉一郎(初代)です。東武鉄道や南海鉄道など日本国内の多くの鉄道事業に携わり「鉄道王」と呼ばれました。一方で、渋沢栄一率いる渡米実業団の一員としてアメリカを視察した際、実業家たちが大学や美術館に多額の寄付をしていることに強い感銘を受け、「国家の繁栄は育英の道に淵源する」という信念のもと、武蔵高等学校や根津化学研究所の創立など、教育・文化事業にも情熱を傾けました。根津は古美術愛好家としても知られ、茶人でもあった彼の収集品を展示するため、没後「根津美術館(東京都港区青山)」が設立されました。根津美術館は根津の私邸跡を利用した広大な日本庭園と、日本・東洋美術のあらゆる分野の一級品を揃えることで知られています。創立者 根津嘉一郎(初代)大講堂2階に位置する武蔵学園記念室は、武蔵学園に関する資料を収集・整理・保存し、一般の方にも公開展示しています。[建学の三理想] 1. 東西文化融合のわが民族理想を遂行し得べき人物 2. 世界に雄飛するにたえる人物 3. 自ら調べ自ら考える力ある人物

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