武蔵大学 大学案内2017
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08[鉄道王・根津嘉一郎の足跡から辿る]武蔵のゼミは  こうして生まれた。 その名は経済界のみならず、政界、美術界、そして教育界にまで知れ渡っている。根津嘉一郎(初代)。誰あろう、武蔵大学の前身である旧制武蔵高等学校創立者である。1860年、山梨県山梨市に生まれた根津は類稀な経営感覚を持ち、上京後にその才を発揮して財を成し、多くの会社経営に乗り出す。当時、経営不振にあえいでいた東武鉄道の社長に就任し、改革に着手。その手腕で見事に再建を果たし、日本でも有数の私鉄に育て上げた。そのほかにも、南海鉄道(現・南海電気鉄道)など、24もの鉄道会社への投資やその再建にかかわり、「鉄道王」と称された。根津が経営を任せるために会社に送り込んだ人物のなかには、同じ山梨県出身の早川徳次の名もある。のちに日本の地下鉄の父と呼ばれる人物だ。事業に行き詰まった会社を買収し、再建するという手法から“火中の栗を拾う男”という異名も持つ根津。その関心は政界にもおよび、衆議院議員選挙にも当選し、4期務めるという経歴も持つ。政財界に伝説は数知れず、実に精力的な人物だ。その一方で、根津には茶道を嗜む茶人としての一面があり、茶道具や古美術品の蒐集家としても名を馳せている。八面六臂。まさに、多彩な才能を発揮した若き実業家であった。▶ 鉄道王と呼ばれた根津嘉一郎(初代)明治37年の越ヶ谷駅(現在の北越谷駅)。根津は積極的に線路の延長を敢行し東武鉄道を再建した(写真提供:東武博物館)「新橋停車場ホーム」(現:東京メトロ銀座線)(写真提供:地下鉄博物館)アサヒビールやサッポロビールの前身・大日本麦酒となる日本麦酒鑛泉も経営▶HISTORY of KAICHIRO NEZU & MUSASHI.明 治万 延1860甲斐国山梨郡正徳寺村(現:山梨県山梨市)の根津嘉市郎の二男として出生。1891山梨県県会議員に当選。1893有信貯蓄銀行(のちの山梨中央銀行)を設立し監査役。1899東京電燈(日本初の電力会社。のちの東京電力)監査役。1904衆議院議員に当選(4期務める)。1905東武鉄道社長。多彩な才能で活躍した実業家。▶ ▶ 「青山」を名乗る茶人としての一面も(写真提供:根津美術館)▶ せいざん

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