東京大学 大学案内2018
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THE UNIVERSITY OF TOKYO 201858 先日、大学院時代の先輩や同級生との会がありました。卒業後ン十年の今も、毎年恩師の誕生日に集まって楽しい時間を過ごしています。 仲間の多くはカウンセリングの現場で仕事をしていますが、私は修士2年の時に、「社会で苦しむ人の話が本当にわかるよう、一度社会を経験してきます」と院を飛び出しました。 その後、29歳から英語を独学して同時通訳者になり、10年ほどして「今大事なのは環境問題だ」と環境分野へ。米国元副大統領アル・ゴア氏の『不都合な真実』などの翻訳、講演や執筆、企業コンサル、政府委員会など、この上なくやりがいのある毎日を送っています。 自分の小さな会社のほか、日本の持続可能な社会への取り組みを英語で世界に発信するNGOジャパン・フォー・サステナビリティ、 「環境問題を根本的に解決するには、幸せとは何か、経済や社会はどうあるべきかを考え直すべき」と立ち上げた幸せ経済社会研究所を運営し、地方創生にも注力し、ありたい自分のビジョンを描く「自分合宿」や読書会なども行っています。 多種多様な活動と言われますが、やってきたことは1つ、「大事なつながりを取り戻すお手伝い」です。人は自分と自分にとって大事なものとのつながりが切れたときに辛い状況に陥るということを、大学院でのカウンセリング実践から学んだのです。環境問題も「自分」と「地球」とのつながりが切れたときに起きるのだと考えています。「思えば遠くへ来たもんだ」~その原動力は大学時代に枝廣 淳子 えだひろ じゅんこ東京大学教育学部教育心理学科卒業東京大学大学院教育心理学専攻入学東京大学大学院教育心理学専攻修士課程修了通訳者・翻訳者として活動を始める環境ジャーナリストとして活動を始める NGOジャパン・フォー・サステナビリティを設立有限会社イーズ設立、代表就任有限会社チェンジ・エージェント設立、会長就任 幸せ経済社会研究所設立、所長就任東京都市大学環境学部で教授を務めるPROFILE1984年1984年1987年1993年1998年2002年2003年2005年2011年2014年東京都市大学環境学部教授、幸せ経済社会研究所所長、環境ジャーナリスト 私の活動の土台は大学で学んだ教育心理学です。環境問題の今の課題は、人々の認識と行動のギャップをどう埋めるかです。心理学が活躍すべき領域です。私は環境省の温暖化対策委員会で「良い政策の策定と実現は別」と、「コミュニケーション・マーケティングWG」を立ち上げ、行動変容につなげるための政策提言を行いました。これも大学での学びがあったからこそ、です。 大学での勉強がその後の人生にどう役に立つのか、その時にはわからないでしょう。でも、多様な教養科目を勉強し、専門科目を極め、先輩や同級生と納得いくまで議論することが必ず人生の糧になります。そして東京大学は、そのような可能性をふんだんに提供してくれる素晴らしい場なのです。 子供の頃、父に「世界で一番偉いのは誰?」と聞いたことがある。しばらくしてから「科学者」という答えが返ってきた。それが科学者を目指すきっかけの一つであったのは間違いない。 高校卒業後、東京大学理科一類に入学し物理学科に進学、大学院も物理系の研究室に進んだ。夢へ向けて前進していた矢先、事件が起きた。 どうしてそうなったのかはわからないし、いまさら詮索しようとも思わない。とにかく研究室に居づらくなってしまったのだ。散々悩んだが、ともかく就職することにした。ようは逃げ出したのである。 幸いにして、大きな企業の「基礎研究所」と名のつくところに就職できた。ただし分野は情報系。周りも情報系の卒業生ばかり。ともかく教科書で勉強しつつ論文を読む日々が始まった。 意外なことに、大学での経験が非常に役に立った。 大学時代、専攻の図書館に通ってロクに分かりもしない論文と格闘した。なにやら勉学意欲にあふれた学生に聞こえるかもしれないが、そういうイメージに自分で酔っていただけという気がする。実際そのころ勉強したことは何も覚えていない。しかし、自分は何が分かっていないのか、新し大学で身についたこと・社会に出て役に立ったことGoogle ストリートビューの撮影車両に乗って記念撮影東京大学教養学部理科一類入学東京大学理学部物理学科進学東京大学理学系研究科物理学専攻修士課程進学日本電信電話株式会社に勤務奈良先端科学技術大学院大学にて博士号取得現在Googleに勤務PROFILE1991年1993年1995年1997~2006年2006年2006年~賀沢 秀人 かざわ ひでとGoogle シニアエンジニアリングマネージャいことを学ぶにはどこから始めるべきか、優れた研究とはどういうものか、といったことに鼻が利くようになっていた。こういった嗅覚は分野に関係なく通用する。 月日は流れ、なんとか人並みに研究業務をこなせるようにができるようになってきたところで、ソフトウェアエンジニアとして転職することにした。 周囲には驚かれた。その当時私には実践的な開発の経験がなかった。不安がなかったと言えば嘘になる。実際、最初の会議に参加して、英語での議論をほとんど何も理解できなかったときはクビを覚悟した。それでも何とかなるだろうと思っていた。自信があった。大学時代に使った嗅覚と、まったく違う分野で生きてこれたという経験、この二つが今でも私を支えている。 世の中何が起こるかわからないからこそ楽しいのです。皆さんも大学時代に大いに学んで、悔いのない人生を送れますように。国内外で講演や対談を行う(右側は定常経済を提唱するハーマン・デイリー教授)これまで執筆した本・翻訳書の一部先輩からのメッセージ

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