日本大学文理学部 学部案内2017
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 古代ギリシア語文法を習得したものだけが集う嘉吉ゼミは、古代ギリシアの先哲たちが遣わしてくれた知的遺産を、原語で読解することに喜びを覚える人たちの集まりです。モットーは「ゆっくり、のんびり」で、丹念にテキストを輪読しながら議論するというのが当ゼミの基本姿勢です。私たちは、ひたすら効率と時間の短縮を求める現代文明に逆らって、言わば「各駅停車の旅」を楽しむ心の旅人なのです。新幹線に乗ってしまうと、線路脇の草花も見えないし、木々の緑や風の匂いを味わうこともできません。単なる移動としての旅ではなく、出会いや触れ合いのある旅だけが、終生忘れがたいものとして私たちの心に残り、やがて私たち自身の人生の大切な一部となるのです。当ゼミは、常に「心の旅路」を大事にする人たちの集まりであり続けたいと願っています。嘉吉ゼミ(倫理学)永井ゼミ(倫理学) 永井ゼミは、自己紹介のところで書いたような、私自身の問題感覚と共鳴する者の集まりです。世界の中に、なぜか一つだけ、その目から世界が見え、その体をたたかれると痛く、その手足を自由に動かせる物体がある。それは現に一つしかないのに、なぜかその一つでないほかのやつらも「言葉の上では」同じことを言う。いったいこの世界はどうなっているのだろう? このような単純素朴な疑問を、心の奥底から感じ、しかも徹底的に理づめに問い詰めていく意志を持ち、いちど徹底的に考えてみたい、考えなければ生きていけない、と思うなら、ぜひ永井ゼミに来てください。このような問題は決して「解ける」ことはありません。しかし、問題の意味を「深める」ことはできるのです。小学生のころ、なぜこいつ(永井均のこと)がぼくで、友人のSくんやOくんがぼくではないのか、という疑問を持った。中学生のころ、利己主義を制限する規範としての道徳の存在に奇異な感覚を持った。そうした問題を考えようとして哲学を学び始めてから、その二つの問題は実は同じ問題(「私」とは何か?)に収斂することに気づいた。また、「私」を「今」に置き換えても、まったく同じ問題が成立することも分かった。しかし結局、哲学は、これらの問題に答えようとはしているが、始めから探求の方向を誤って全体として失敗しているという結論に達したので、現在では、これらの問題を、人称と時制の成立に絡めて、全く新たな観点から、ほとんど素手で考えている。永井 均(教授) 形而上学(存在論、自我論、時間論)とそれに並行する倫理学「疑うこと」と「信じること」の根拠について絶えず考えています。人は誰でも、心の奥底で何かを信じ、他ならぬ自分自身の人生に何らかの価値が有ることを感じているからこそ生きていられるわけですが、私は、その根拠に向かって探究を続けてゆくことこそが哲学に他ならないと思っています。私たちは、何のために生まれ、何のために生き、そして死んでゆくのでしょうか。そもそも「存在する」ということはどういう出来事であり、私が「この私」としてこの世に在るということにはどういう意味があるのでしょうか。どこまで行っても答えは闇の中なのかもしれませんが、諦めずに、これからも一条の光を求めてさまよい続けたいと思っています。嘉吉純夫(教授) 古代ギリシア哲学・西洋倫理思想史・懐疑論●9

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