拓殖大学 大学案内2018
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拓殖大学の礎を築いた先人たちも、タフな国際人でした。03桂 太郎(1848~1913)かつら たろう拓殖大学創立者・初代校長山口県出身。台湾総督、陸軍大臣、内務大臣、外務大臣、大蔵大臣、内大臣、癌研究所初代総裁、台湾協会会頭、内閣総理大臣(3度)等を歴任。総理大臣としての在任は日本一(第1次~第3次の通算2,886日)。1900年拓殖大学の前身・台湾協会学校の初代校長となる。翌1901年に第1次桂内閣発足。後藤新平 (1857~1929)ごとう しんぺい拓殖大学第3代学長板垣退助との出会いをきっかけに医師から内務省へ。卓越した政治手腕を買われ、台湾総督府民政長官、南満州鉄道総裁を経て、逓信・内務・外務各大臣、東京市長等を歴任。東京放送局(現NHK)初代総裁。帝都復興院総裁として関東大震災直後の東京復興、また日ソ国交回復などに尽力した。新渡戸稲造(1862~1933)にとべ いなぞう拓殖大学第2代学監・教授思想家・教育者であり、農業経済学・農学の研究も行っていた。旧五千円札の肖像となったことでも知られる。国際連盟事務次長、太平洋問題調査会理事長として、国際理解と世界平和に尽力した。「太平洋の橋とならん」の言はあまりに有名。著書『武士道』は世界各国語に翻訳されている。第3回卒業写真。当時の桂校長(前列中央)は内閣総理大臣として活躍。桂校長の左は、第2代学長の小松原英太郎。本学運動会での後藤新平学長。恩賜記念講堂で拓殖大学の学生に講義をする新渡戸稲造学監。拓殖大学は、日本の代表的な辞典『広辞苑』にも掲載されています。【拓殖大学】 私立大学の一つ。1900年(明治33)アジアで働く人材の養成を目的として創立された台湾協会学校が前身。東洋協会専門学校などを経て18年(大正7)拓殖大学と改称。49年新制の紅陵大学に移行、52年現校名。本部は東京都文京区。大学としての歴史は古く、1922(大正11)年、専修大学や立教大学とともに私立大学として認可されました(右年表をご参照ください)。出典『広辞苑』 第六版 (岩波書店発行)より関東大震災から東京を復興させたリーダー国際連盟でも活躍した、日本が誇る国際人明治維新後、日本の近代化をリードした偉人拓殖大学のバックボーン創立以来の国際大学として。拓殖大学は、アジアに、そして世界に貢献する真のグローバル人材の育成を建学の精神として、1900(明治33)年に創立されました。現在まで強みとしてきた国際教育は、実に117年前から受け継がれてきたものなのです。

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