専修大学 大学案内2019
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518851880日本でも屈指の伝統を持つ大学です。明治のはじめに、4人の青年が母国日本の発展のためにアメリカへ留学しました。4人の名は相馬永胤、田尻稲次郎、目賀田種太郎、駒井重格。彼らは帰国後の1880年(明治13年)に経済科と法律科からなる「専修学校」を創立します。日本で初めて経済学と法律学を共に学べる高等教育機関でした。今の大学生とさほど変わらぬ歳に海を渡り、帰国後、新しい時代を担う人材をひとりでも多く育てようと志した創立者たち。その熱い思いは今も脈々と受け継がれ、常に社会の要請にこたえる人材を輩出し続けています。『風俗画報増刊 東京名所図会 神田区之部上巻』第一九三号より転載入学者が急増し、1885年(明治18年)、専修学校は現在の神田校舎に移転します。校門が黒塗りだったことから、東京帝国大学(現・東京大学)の赤門に対して、専修学校は「黒門(くろもん)」と並び称されるようになりました。専修学校をはじめ東京法学社(現・法政大学)、明治法律学校(現・明治大学)、東京専門学校(現・早稲田大学)、英吉利法律学校(現・中央大学)は「五大法律学校」と呼ばれ、連合討論会など活発な交流をはかっていました。アメリカで近代国家の基盤となる市民社会の大切さを目のあたりにした彼らは、日本にも法律と経済を学ぶ場が必要だと痛感。法律や経済は外国語で講義するのが当たり前だった当時、日本語で学べる学校の誕生はまさに画期的でした。留学先で生まれた学校設立計画戊辰戦争を経験した4人の創立者たち。そんな彼らが留学先のアメリカで出会ったのは運命だったのでしょうか。やがて「日本法律会社」が組織され、週に1度、法律の研究会や討論会を開く中、相馬、目賀田をはじめニューヨーク近郊で学ぶ留学生たちの親交はますます深まっていきました。こうした仲間との活動から、帰国後は東京に法律学校を興し、自分たちが得た知識を日本の青年に伝えるという夢が芽生えていったのです。帰国後、志を同じくする仲間とともに4人は創立準備を着々と進め、1880年(明治13年)9月、「専修学校」が誕生しました。予定していた校舎の改修が遅れ、仮校舎からの出発でしたが、51名の学生を迎え盛大な開校式が行われました。『男爵山川先生伝』より転載専修学校創立1890創立者のひとり、目賀田は勝海舟の三女逸子と結婚。その縁で1890年(明治23年)の卒業式に勝海舟は自筆の「律増甲乙之科以正澆俗礼崇升降之制以極頽風」という書を贈り、卒業生を激励しています。世の中には法律と道徳の両輪が必要であるとし、法学生の使命の大きさを説いたこの書は、今も本学で大切に保管されています。勝海舟から激励の書がとどく仮校舎からのスタート法律と経済を日本語で学べる学校「赤門」の東大、「黒門」の専修東京に五大法律学校あり相そう馬ま永なが胤たね田た尻じり稲いな次じ郎ろう目め賀が田た種たね太た郎ろう駒こま井い重しげ格ただ4人の創立者たち

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