学習院大学 大学案内2018
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法学研究科法律学専攻政治学研究科政治学専攻経済学研究科経済学専攻経営学研究科経営学専攻教職課程(各研究科、各学部に共通)学芸員課程(各研究科、各学部に共通)自然科学研究科生命科学専攻数学専攻化学専攻物理学専攻法務研究科(法科大学院)法務専攻法学部政治学科法学科経済学部経営学科経済学科人文科学研究科身体表象文化学専攻アーカイブズ学専攻教育学専攻臨床心理学専攻心理学専攻フランス文学専攻ドイツ語ドイツ文学専攻英語英米文学専攻日本語日本文学専攻史学専攻美術史学専攻哲学専攻文学部教育学科心理学科フランス語圏文化学科ドイツ語圏文化学科英語英米文化学科日本語日本文学科史学科哲学科理学部生命科学科数学科化学科物理学科大学院学習院大学学校法人 学習院専門職大学院学 部国際社会科学部国際社会科学科附置研究施設心理相談室附置研究施設基礎物性研究センター附置研究施設法務研究所附置研究施設経済経営研究所附置研究施設生命分子科学研究所附置研究施設人文科学研究所哲学・思想史系美学・美術史系日本語日本文学系日本語教育系弘化 4 ( 1 8 4 7 )嘉永 2 ( 1 8 4 9 )明治 3 ( 1 8 7 0 ) 10 ( 1 8 7 7 ) 17 ( 1 8 8 4 ) 18 ( 1 8 8 5 ) 21 ( 1 8 8 8 ) 22 ( 1 8 8 9 ) 23 ( 1 8 9 0 ) 26 ( 1 8 9 3 ) 41 ( 1 9 0 8 ) 43 ( 1 9 1 0 )大正 元 ( 1 9 1 2 ) 10 ( 1 9 2 1 )昭和 2 ( 1 9 2 7 ) 5 ( 1 9 3 0 ) 20 ( 1 9 4 5 ) 21 ( 1 9 4 6 ) 22 ( 1 9 4 7 ) 24 ( 1 9 4 9 ) 25 ( 1 9 5 0 ) 26 ( 1 9 5 1 ) 27 ( 1 9 5 2 )学習院大学の歴史 ・ 京都御所日ノ御門前に学習所開講 ・ 孝明天皇より「學習院」の勅額下賜*1 ・ 京都の学習院閉鎖 ・ 神田錦町の校舎で学習院開業 ・ 宮内省所轄の官立学校となる ・ 華族女学校創立 (明治39(1906)年学習院女学部、 大正7(1918)年女子学習院となる) ・ 虎ノ門の旧工部大学校校舎に移転 ・ 学習院輔仁会発足 (明治23年『輔仁会雑誌』創刊) ・ 四谷尾張町に移転 ・ 別科を大学科と改称する (明治38(1905)年廃止) ・ 中等学科・高等学科、 北豊島郡高田村(目白)に移転 ・ 学生・卒業生らにより『白樺』創刊 ・ 乃木希典院長殉死 ・ 同窓会として桜友会発足 ・ 理科特別教場(現南1号館)完成 ・ 中等科教場(現西1号館)完成 ・ 空襲により目白校地焼失 ・ 学習院存続にむけてGHQとの交渉が 行われる ・ 第18代学習院長に安倍能成就任*2 ・ 財団法人学習院発足、私立学校となる ・ 学習院大学開設 文政学部(政治学科・哲学科・文学科)と 理学部(物理学科・化学科)を設置 ・ 大学開講式*3・開設祝賀会 ・ 学習院大学短期大学部開設 〔昭和28(1953)年学習院女子短期大学、 平成10(1998)年学習院女子大学〕 ・ 教職課程設置 ・ 第1回四大学運動競技大会開催 (学習院・成蹊・成城・武蔵) ・「学習院院歌」を発表 ・ 第1回大学卒業式 ・ 文政学部を改組し 文学部(哲学科・文学科)と 政経学部(政治学科・経済学科)を開設 文学部文学科を国文学・イギリス文学・ ドイツ文学・フランス文学の4専攻とする ・ 学習院東洋文化研究所発足 ・ 大学昭和寮開設 ・ 第1回大学祭開催*4 ・ 学生部に学生相談室を設置 ・ 大学院を開設、人文科学研究科と 自然科学研究科を設置 ・ 対甲南大学総合定期戦開始 ・ 文学部文学科各専攻を国文学科・ イギリス文学科・ドイツ文学科・ フランス文学科に改組 ・ 四大学合同文化祭、成城大学で開催 (~昭和44(1969)年) ・ 東都大学野球秋季リーグで硬式野球部 優勝*5 ・ 北1号館・南2号館・中央教室 (ピラミッド校舎)完成 ・ 文学部に史学科設置 ・ 理学部の計算機室にコンピュータ導入 ・ 理学部に数学科設置 ・ 体育館・大学図書館・輔仁会館完成 ・ 学習院創立85周年・ 私学15周年記念式典挙行 ・ 政経学部を改組し法学部(法学科・ 政治学科)と経済学部(経済学科)を開設 ・ 南3号館完成 ・ 学内での紛争高まる ・学習院全体での学習院祭が中止され 大学祭開催 ・ 学生同士が衝突し大学祭中止 ・ 大学院法学研究科設置 ・ 大学院人文科学研究科と早稲田大学・ 慶應義塾大学の大学院文学研究科との 間で相互科目履修を開始 28 ( 1 9 5 3 ) 31 ( 1 9 5 6 ) 32 ( 1 9 5 7 ) 33 ( 1 9 5 8 ) 35 ( 1 9 6 0 ) 36 ( 1 9 6 1 ) 37 ( 1 9 6 2 ) 38 ( 1 9 6 3 ) 39 ( 1 9 6 4 ) 44 ( 1 9 6 9 ) 45 ( 1 9 7 0 ) 47 ( 1 9 7 2 )校舎は華族の出資金と下賜金により建てられました。正門は昭和48(1973)年に重要文化財の指定を受け、現在、学習院女子大学と女子中・高等科の正門として使用されています。神田錦町の学習院正門と校舎勅額 *1学習院の勅額は、嘉永2(1849)年4月に孝明天皇より下賜されました。命名の典拠は『論語』の冒頭にみえる「学びて時に之を習う、亦説ばしからずや」です。勅額の文字は、時の右大臣近衛忠煕の筆によるものです。この額は明治10(1877)年の学習院開業の際、明治天皇よりあらためて下賜されました。夏目漱石の弟子としても知られる哲学者で、第一高等学校長・文部大臣などを経て、昭和21(1946)年10月から41(1966)年6月まで第18代の学習院長を務めました。昭和24(1949)年4月、大学が設置されると同時に初代大学長に就任し、38(1963)年3月までその任にありました。厳しい財政事情のもとで学校の再建に奔走し、大学設置にあたっては学界の権威を教員に招き、その後の発展の基礎を築きました。安倍能よし成しげ *2組織図学習院で生徒・児童の通学の際に背嚢(ランドセル)を背負わせるようになったのは、明治18(1885)年5月からで、学用品携行のために背嚢を採用したのは、日本では学習院が最初でした。ランドセルGAKUSHUIN UNIVERSITY142

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