國學院大學 大学案内2017
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國學院大學は、「凡そ学問の道は本を立つるより大なるは莫(な)し」(有栖川宮幟仁親王)という建学の精神を体現して、日本文化の本質を解明することに努めるとともに、これらの成果を教え学んでいく中で、その学問を継承してきました。筑土鈴寛民俗学者1901~1947折口信夫より唱導文芸の研究を受け継ぎ、中世文学と民俗との関わりから民衆の精神生活について研究した。高柳光寿歴史学者1892~1969戦国史研究の権威。人間重視の学風で知られ、昭和23年に日本歴史学会を創設し、歴史知識の普及に貢献した。古賀英正経済学者・小説家1908~2004専門は金融論。國學院大學政経学部、さらに経済学部の教授を務めつつ、「南條範夫」の筆名で歴史小説家として活躍し、『灯台鬼』で直木賞を受賞した。鈴木敬三歴史学者1913~1992専門は風俗史・有職故実。考証学の流れをくむ研究手法は、NHK大河ドラマ「草燃ゆる」他で発揮された。岸本誠二郎経済学者1902~1983専門は理論経済学。京都大学経済研究所の創設に尽くして初代所長となる。後に國學院大學教授となり、草創期の経済学部を支えた。平山輝男国語学者1909~2005國學院大學出身。全国4000カ所以上の地域で方言のアクセントの実態を調査し、体系化した。小川信歴史学者1920~2004専門は日本中世史。国の重要文化財である「久我家文書」(國學院大學図書館所蔵)を補修し、その史料集の編纂・刊行に尽力した。串田孫一哲学者・詩人・随筆家1915~2005パスカル研究者で戦後まもなくに國學院大學教授を務めた。また随想集『山のパンセ』を著し、詩を朗読するラジオ番組「音楽の絵本」は30年間放送された。1872~1923三矢重松文学者明治23年入学・明治26年卒業の國學院第一期生。卒業の後、文部省(現、文部科学省)に入省するも辞職し、教育者の道に進む。柔道家で教育者の嘉納治五郎が開いた亦楽書院で中国人留学生の教育に務めながら、國學院の講師を兼ねた。大正7年に東京高等師範学校(現、筑波大学)教授となり、その2年後には國學院大學教授に就任した。国語学を中心に数多くの研究を発表し、いわゆる「三矢文法」を確立した。大正12年に「古事記に於ける特殊なる訓法の研究」により、國學院大學第一号の文学博士を授与される。折口信夫や武田祐吉らを育て、國學院大學の国文学の礎を築いた。三明生るも嘉教年り、語1882~1963河野省三神道学者埼玉県玉敷神社の神主の家に生まれる。國學院大學卒業後も教鞭を執り、昭和10年に國學院出身者としては初めて國學院大學学長に就任した。神道学の権威として、神道の思想や信仰・道徳を中心に数多くの研究を発表している。その研究を支えたのは、自ら収集した膨大な蔵書であり、のちに、遺族により國學院大學に寄託・寄贈された。これら蔵書は、その後の神道研究で活用され、今日までの神道学の発展に多大に寄与し続けてきている。1899~1975大場磐雄考古学者國學院大學の出身で、戦前、神社を管轄していた内務省神社局に入り、全国の神社や祭祀遺跡を調査・考証した。その傍ら國學院大學講師をつとめ、戦後は教授として、國學院大學考古学研究室の基礎を築いた。静岡県登呂遺跡などの調査を行い、東京都宇津木向原遺跡では遺構に「方形周溝墓」と命名した。また折口信夫や宮地直一との交流を通じて、考古学に民俗学や神道史学の学問手法を取り入れた「神道考古学」を唱導した。1909~1997樋口清之歴史学者國學院大學在学中、鳥居龍蔵に師事し、卒業後も教鞭を執って、昭和3年に考古学陳列室(現在の研究開発推進機構学術資料センターの前身)を創設した。昭和20年に教授に就任、昭和30年に文学博士の学位を取得した。戦後における考古学発展の基礎を築くとともに、学問成果を分かりやすく説明して、一般の人々にも広めた。昭和48年に紫綬褒章を受章、昭和50年にはテレビドラマの時代考証など、教育・教養番組の充実に寄与したことから、日本放送協会放送文化賞を受賞。「梅干し(うめぼし)博士」と呼ばれ親しまれた。1897~1992瀧川政次郎法制史家日本法制史の大家で、研究領域は中国の法制史や政治史、社会経済史、芸能・風俗史などに及び、遊女の歴史といった戦前はタブーとされた研究にも積極的に取り組んで、100冊を超える編著書を世に送り出している。法実務にも深く関わり、東京裁判の特別弁護人を務め、後に記した『東京裁判をさばく』では、勝者が敗者を一方的に裁いた東京裁判の矛盾を指摘した。また江戸時代の訴訟についての『公事師・公事宿の研究』や、テレビドラマ「鬼平犯科帳」で有名な長谷川平蔵の伝記なども著した。瀧日本法制史の大家で、研究領域史や政治史、社会経済史、芸能及び、遊女の歴史といった戦前研究にも積極的に取り組んで11875~1960石川岩吉教育者明治28年卒の國學院第三期生。日本倫理や国民道徳を講じ、國學院大學の運営実務にも携わる。学監であった杉浦重剛の推挙により皇族の御養育に当たり、昭和11年には東宮傅育官(とうぐうふいくかん)として、今上陛下の御養育を担った。終戦直後の最も混迷した時期に國學院大學理事長・学長となって、その維持・発展に尽力し、退任後に名誉学長の称号が贈られた。今日「國學院中興の祖」の一人と称され、構内に胸像が設けられている。明治28年卒の國學院第三期生民道徳を講じ、國學院大學の運國學院大學博物館には樋口先生の特設コーナーがあり、その足跡を確認できる。國學院大學在学中鳥居龍蔵に河埼玉鞭を長に中心集し寄贈の神大國に大の木や019

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