京都市立芸術大学 大学案内2018
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15インタビュアー渡邊 瞳(美術学部 総合芸術学科2回生*)*取材当時取材日2016年10月3日取材場所本学大学会館Message受験生そして在学生へ何かを教わろうと思って来るべきではない,ということを一番伝えたいと思っています。本物に出会える時というのは,そういう姿勢や態度ではない場合が多いと思います。京都芸大という場所は,本物に出会えるフラットな環境を用意してくれていると思います。自分自身の五感を信じて,自分の好きなことを自分の責任で思いっきりやってください。『FUZZ』(2015年制作)卒業生インタビュー⑤久門剛史さん大学には連日夜遅くまでいましたが,授業にはあまり真面目に出ていませんでした・・・。作品制作に関しては,年に1度の作品展に照準を合わせて制作を行っていました。京都芸大の作品展は卒業生だけでなく,学部から修士課程までの全学生の作品が出展されます。そういう緊張感のある発表の場を学生時代に繰り返し経験することが京都芸大の良いところだと思います。京都市美術館にしても学内展にしても沢山の人が来て,厳しい視点で見られる場所なので気が抜けませんし,今ではギャラリー関係者や外部の人が積極的にスカウトに来るというのを聞きます。大学院時代にはRCA(英国ロイヤル・カレッジ・オブ・アート)に交換留学しましたが,その経験は自分にとってかなり重要な位置を占めています。特に学校で出会った人たちから大きな影響を受けました。親しくなったデザイン科の日本の方は大手企業のデザイン部門でキャリアを積み重ねた後に,退職してまで学びに来ていました。そんな人たちと出会って話をするうちに,自分はアートの世界で生きていけるかと不安になりました。例えば医者であれば医学について造詣が深いのは当たり前で,それ以外のことをどれだけ知っていて,そうした知識をどれだけ転用したり,ヒントにできるかということが本当の意味で革新に繋がると思います。そういう視点で考えて見ると,私の場合,美術のことはまずまず知っているけれど,それ以外のことについての知識=ヒントが全く無かった。例えるなら「引き出し」はどんどん深くなっていきそうだけれど,それを1,2個くらいしか持ち合わせていなかった。留学中にそのことを意識してからは美術だけについて調べるのはやめて,デザインのことやさまざまな社会のことを懸命に調べました。ロンドンにいる間に人生の選択肢として会社に属するということを具体的に考え,行きたいと思う会社を決めたり,エントリーシートを書いたりして,後の人生に経験の種類を増やそうという意識をもつようになりました。大学院を修了後,東京で2つの会社に勤務しました。日本のファッションブランドでのクリエイティブ職を経て,デザイン会社でデザイナーとして勤務しました。アーティストという立場は無いものや新たな価値観を作る職業だと思っていますが,その「まだ存在していない何か」に何も言わずに投資してくれたり同意してくれる人はなかなか見つかりません。公募展等に出品する際にプレゼンテーションシートを書きますが,学生の時は「うまく説明できないけれど素晴らしいものなので展覧会させてください」という熱意中心の内容でしたが,会社勤めをして,厳しいプレゼンテーションの体験の影響もあって,社会的な意味や貢献度といった側面を書けるようにもなりました。もちろん作品は断然その先にある言葉にできないところまで向かわなければなりませんが,協力者を安心させるというハードルは現代社会の中で発表する立場にいる限り,立ち向かわなければならない状況が多いと思います。また忘れてならないのは,この会社時代に美術以外の様々な立場の人々と係わり合えたことがとても有意義だったということです。東日本大震災を東京で経験したことは,その後の人生の考え方を大きく変えました。2013年,会社務めをしながら応募したACAC(国際芸術センター青森)のレジデンス作家選出を機に退社しました。退社後は青森で3箇月ほど制作を行い,2014年の4月に京都に帰ってきて徐々に制作活動を再開し,現在に至ります。2013年の制作活動再開からコンピューターや動作を持った現象を使用した表現を続けてきましたが,次は木か石を彫りたいと思っていて,テクノロジーをできるだけ排除し,幼少のころの体験を思い出しながら物体としての美しさを今一度考えてみたいと思っています。

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