二松學舍大学 大学案内2017
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139年前から受け継がれる、グローバル時代を見据えた建学の精神。己ヲ修メ人ヲ治メ一世ニ有用ナル人物ヲ養成スル今までの140年、これからの140年。みしま ちゅうしゅう自ら考え行動できる能力を鍛え、社会のために貢献する人物を養成する二松學舍大学139年の歩み中洲は、日本という国が世界に開かれようとしている時代に、自国の文化を正しく理解し、母国語を正しく表現することができる真の国際人の養成を目指したのです。同時に、断片的な知識だけではなく、物事を深耕する力を身につけることの大切さを説きました。創立から139年。私たちは今も変わらず、「東洋文化への理解と国語力を礎に、世界へと漕ぎ出す人材を育てること」を追求しています。2017(平成29)年10月10日、二松學舍はこの建学の精神と共に創立140周年を迎えます。現代はグローバル化、高度情報化が進み、知識基盤社会の時代だと言われています。これからますます複雑化し、大きくかつ急激に変化するであろう社会で必要な人材とは何か。それは、豊かな人間力を有し、自ら考え行動する人材、人々の長い歴史と英知が詰まった古典から未来を学び、豊かな国語力を備えた真の国際人であると私たちは考えています。11歳から学問を志し、14歳で漢学者山田方谷の門に入って陽明学を学ぶ。新治裁判所長、大審院判事(現在の最高裁判所判事)を経て、1877(明治10)年10月10日、二松學舍大学の前身である「漢学塾二松學舍」を創立。多くの子弟を育成し、漢学・東洋学の発展に尽力しました。建学の精神二松學舍大学は、1877(明治10)年10月10日、漢学者であり、明治法曹界の重鎮でもあった三島中洲が、九段の地に漢学塾二松學舍を創立したことにはじまります。当時の日本は、欧米等先進国の文化が取り入れられた、いわゆる西洋学の華やかな時代でした。中洲は、「西洋文明の進んだ部分を自分たちのものにするには、まず東洋の文化を学び、日本人の真の姿を知ることこそが重要である」と主張し、漢学を若者たちに教授することで、有為な人材の育成を目指しました。創立者 三島 中洲 1830-19191897(明治30)年頃の校舎12

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